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【武田流騎射流鏑馬】
(たけだりゅう・きしゃ・やぶさめ)
 弓の道のうち馬上で弓を射るのが騎射で、騎射のうち「天下泰平・五穀豊穣・万民息災」を祈願して三つの的を射るのが流鏑馬(やぶさめ)である(騎射にはほかに笠懸=かさがけ、犬追物=いぬおうものなどがある)。
 流鏑馬は騎射の代表であり、平安時代は朝廷の儀式として、武家時代は武技修練の道として盛んであった。現在は神社の神事、豊作祈願の祭礼として残っているが、武田流と小笠原流として武道の正統が護持継承されている。
 
 武田流は今から1100年前の西暦900年ごろ、清和天皇の皇子・貞純親王から始まり、源氏7代に伝わったのち、武田、小笠原の両家に分かれ、武田家最後の信直から、姻戚関係にあった細川藤孝(初代幽斉)に伝わったとされる。
 細川3代忠利公が小倉から移封されて肥後初代藩主になったのが、肥後の武田流騎射流鏑馬の始まりである。

 肥後では家臣の竹原惟成(これしげ)が継承した。以後、竹原家を宗家師範として、その一切を受け継ぎ、現在は第47代師範(竹原陽次郎惟賢。竹原家としては第13代)のもと、同保存会が連綿と続く流儀を守っている。
熊本県重要無形文化財指定。
 
 形の特徴は、西洋式と違い、乗馬も下馬も馬の右側で行うことで、従って馬の口取りも馬の右に立つ。実際に馬場で騎射を始める前に一番の射手(いて=「貫頭」と呼ぶ)が木馬を使って「天長地久式」の儀式を行う。
 世の平和と人馬の健康ならびに豊作を祈願するもので、口伝(くでん)の呪文を唱えながら、天空と大地に向かってを鏑矢(かぶらや)を射るしぐさをする、厳粛で神聖な儀式である。


◇連絡先 第47代師範 竹原陽次郎(熊本市大江1丁目28−32)


◇ 系統 貞純親王(清和天皇皇子)以来47代


◇ 練習場 幽玄館道場(熊本市黒髪)、北熊本乗馬クラブ(熊本市清水)


    武田流 騎射流鏑馬(第19回熊本県古武道演武大会で)
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