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【四天流星野派柔術】
(してんりゅう・ほしのは)
 藩政時代から肥後の柔術三流(四天流組討、竹内三統流柔術、扱心流体術)の一つとして隆盛を極めた。これらを教えた城下の道場は「肥後の三道場」(四天流星野道場、竹内三統流矢野道場、扱心流江口道場)として名を馳せた。

 四天流の流祖は肥前・唐津に生まれた成田清兵衛。下野国・宇都宮で佐々木元伯(げんぱく)について居合、剣術の皆伝を受けた。
 さらに諸国を回り、寛文元年(1661)、肥後の細川綱利公(第3代)に召し出された。武術指南のかたわら組討の法を編み出し、やがて「剛の組討」として天下のその名を轟かせた。

 星野派の祖は四天流第4代、星野角右衛門実員(さねかず)。星野家は元は立花藩士。加藤、細川家に仕え、細川忠利公の肥後入国に従って熊本に入り、天草の陣などで戦功を上げたりしたが、武芸の達人として高名を馳せたのが、天保8年(1837)に76歳で死んだ角右衛門。
 角右衛門は四天流組討のほか伯耆(ほうき)流流居合、楊心流長刀にも長じ、細川公から三芸の指南役を仰せられた。
 
 明治の全時代を通して熊本の柔術振興に尽力したのが星野九門。若くして武術に優れ、居合、組討、長刀、剣術の目録相伝を受け、槍術、砲術、馬術でも師範格であった。
 明治3年に後を継ぎ、大正5年に没するまでの入門者は組討、居合、長刀、棒術等数百人に及んだともいわれる。九門が肥後藩各流柔術師範家七派を統合して制定したのが肥後流体術である。
 
 組討の技の特徴は攻撃に対して己の身をかわし、その力、攻撃に逆らうことなく極(き)め、当身(あてみ)を軸に体を捌(さば)き、立技から捨て身を敢行する、あるいは関節の逆を取る−などが中心になる。


◇連絡先 四天流星野派三石会事務局(熊本市大江本町6−10 電話096−366−2056)


◇系統 星野角右衛門(―関群馬―星野龍介)―星野四郎左衛門如雲―星野九門―星野龍太―三石昇八―田代高造


◇練習場 熊本市南部スポーツセンター(熊本市白藤町)


四天流星野派柔術(第19回熊本県古武道演武大会で)
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