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【野田派二天一流剣術】
(のだは・にてんいちりゅう)
 寛永17年(1640)、細川忠利公に招かれて肥後に来た宮本武蔵は、翌年「兵法三十五箇条」を忠利公に献上、同20年には自らの剣法と思想を集大成するために霊巌洞にこもって「五輪書」を書き上げた。

 この中で初めて「二天一流」と名付けたことから流派名となった。これは、親しかった細川家菩提寺泰勝寺の春山和尚(大淵和尚とする説もある)から授かった「二天」の号を使って、いわば「武蔵の一流派」の意味でつけた、とされ、二刀を同時に使う二刀流とは関係ない。
 むしろ左手、右手を問わず自在に一刀を使いこなす、「構えあって構えなし」の片手剣法が二天一流の特徴である。

 二刀の形では打太刀は無声で静・動・寂の形を繰り返すのに対し、仕太刀は「ズー、タン、ヘッタイ」と特徴のある発声をする。
 「ズー」は大きな威力の状態を表し、「タン」は断の意味。「ヘッタイ」とは「絶対」の意味とされる。「五方の形」に代表される形の演武は幽玄で、能の世界に引き入れられるような感じがする。


 武蔵の他界後、高弟寺尾家に引き継がれ、明治維新ころまでは野田、山尾、山東の3派に分かれて継承された。明治以降、断絶、再興、県外流出などを繰り返し、今日に至るまで系統が続いているのは野田派だけである。


◇系統 宮本(新免)武蔵玄信―寺尾求馬之助信行―新免弁助信森(又は信盛)―村上平内正雄―村上平内正勝―村上八右衛門正之―野田三郎兵衛種信―野田三郎兵衛種勝―大塚庄八昭博―大塚又助常清―野々村市作永昌―伊津野十内―野田三郎八種久―野田辰三郎―加納軍治―指田次郎―古賀徳孝―志岐太一郎― 一川格治―神尾宗敬―大浦辰男―井上光芳―荒木章博(*系統は野田派二天一流二天会資料による)


◇連絡先 野田派二天一流二天会事務局(熊本市春日3丁目2−40、電話096・324・1592) 


◇練習場 優心館荒木道場(熊本市春日)
 


 野田派二天一流剣術(第19回熊本県古武道演武大会)
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