| 【伯耆流居合術熊谷派】 (ほうきりゅういあいじゅつくまがいは) |
伯耆流剣術の祖は片山伯耆守藤原久安である。 周防((すおう=山口県)大内家の士で、豊臣家に仕え、剣術指南を勤めた。元和元年(1615)、大阪城落城のあと周防岩倉(山口県岩倉市)の吉川家に客分として迎えられ、36年間仕えた。久安は「武は矛を止めるのではなく、矛が止むのである」を武道の理念として「神武不殺」を唱えた。 肥後の伯耆流は六代目田城与五郎を開山、八代目久布白喜郎左衛門定尉藤原光春を中興の祖とする。 この久布白の門弟の中から三人が出て三派に分かれ、熊谷軍次直道が熊谷派を興した。 ◇系統 熊谷軍次直道−熊谷次郎右衛尉−熊谷十助直章−熊谷軍兵衛直栄−吉川源兵衛尉広良−吉川(河野)次郎熊高弘−吉岡繁蔵広次−大塚 維(16代)−大塚維隆(17代)−清田雅雄(18代) ◇連絡先 清田雅雄(山鹿市中896-1) ◇練習場 |
![]() 伯耆流居合術熊谷派(第19回熊本県古武道演武大会で) |
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