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【一刀流中西派剣術】
(いっとうりゅう・なかにしは)
 一刀流中西派の流祖は中西忠太子定(つぐさだ)である。
 子定は小野派一刀流3代・小野次郎衛門忠於(ただお)、同4代・小野次郎衛門忠一に一刀流を学び、中西派を創めた(一刀流は伊藤一刀斎の正統を継いだ小野次郎右衛門忠明が流祖。
 忠明は将軍家徳川秀忠の指南役となり、以後、小野一刀流は代々将軍家の指南役を勤めて隆盛を誇った)。
 
 中西忠太子定は江戸市中に道場を開き、それまで一部の人にだけ一刀流が伝授されていた弊を破り、一般に広く開放したことで、江戸中期以降は中西派が一刀流の主流となった(小野派一刀流の正統が津軽藩津軽家に移ったことにもよる)。
 また、子定の子・子武(つぐたけ)は従来の形稽古の技を自由奔放に応用できるように、新しい剣術稽古法として、竹刀および防具を考案して、竹刀(撓=どう)稽古法を併用したとされる。宝暦のころ(1760年代)とされる。

 この一刀流中西派を肥後に伝えたのは○○(高野佐吉郎?)。○○は
                で、以後代々、高野師範家が熊本で流派を守ってきている。
 

 独特な形に出刃、入刃の切落(きりおとし)がある。一刀流の秘伝で、ただ一太刀の働きで攻防を同時に行い、敵を倒す術。傍目では相討ちに見える一瞬の間に相手の太刀筋をかわし、一太刀で敵の面を一刀両断、あるいは喉あるいは水月を刺突するもので、練磨の積み重ねが要求される。

◇系統 小野次郎左衛門忠明……中西忠太子定―中西忠蔵子武―中西忠太子啓(つぐひろ)―中西忠兵衛子正―高野佐吉郎苗正(みつまさ)―高野芳三郎蕃正(しげまさ)―高野佐三郎豊正―高野甲子郎(かしお)弘正―高野友枝


◇連絡先 一刀流中西派九州之会(上村篤会長 熊本市京町2丁目11−3、電話096−355−4055)


 
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