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| 【無外流居合兵道】 (むがいりゅう・いあい・ひょうどう) |
無外流(剣術)の祖は慶安元年(1648)、近江甲賀郡(滋賀県)の郷士の家柄に生まれた辻月旦資茂(げったん・すけもち)。 13歳で京都の山口流剣術の門をたたき、13年間鍛錬して皆伝を許された。その後、江戸麹町(又は番町)に道場を構えた。 「剣禅一如」の道を目指して江戸麻布の吸光寺(又は吸江寺)の石譚和尚のもとで禅の修業を積み、のち同寺の禅師から「一法実無外 乾坤得一貞…」の偈(げ=禅の真理を詩の形で述べたもの)を得た。この無外を自らの法号にするとともに、流儀を無外流と名づけたという。 禅の道も説く無外流剣術は多くの大名、小名や直参旗本が学ぶところとなり、江戸の有力道場になった。今日では武芸小説作品などによく登場する。 参勤交代の折に江戸で学んだ高弟たちが姫路藩(兵庫県)酒井家や土佐藩(高知県)山内家に帰って普及した。 (江戸)無外流が途中で途絶えたため、各藩に無外流の支流が育ち、姫路では江戸無外流第6代・都治文左衛門資信の兄弟弟子であった高橋八助充亮とその子孫が酒井家で幕末まで無外流を伝え、以後も明治、大正、昭和と姫路の高橋家に伝わった。 土佐藩では辻文左衛門に学んだ森下辰敬が広めたとされる。 この無外流剣術に自鏡(じきょう)流居合を取り入れたのが姫路無外流の高橋赳太郎に師事した第11代・中川士龍申一で、「無外流居合兵道」という名称を初めて使った。現在は各地の無外流のなかで継承され、国外へも広まっている。 熊本県へは○○に師事した■■によって●●ごろ伝えられ、今日では (地域、指導者など)を中心に鍛錬に励んでいる。 技は突きと逆袈裟斬りが主体の質実剛健な居合術である。 ◇系統 辻月旦資茂―辻右平太―都治記摩多資英……各地へ伝播 ◇連絡先 吉田祐一(玉名市岱明町下沖洲811) ◇ 練習場 六栄小学校体育館(玉名郡長洲町)玉名郡 |
![]() 無外流居合兵道(第19回熊本県古武道演武大会で) |
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