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【本體楊心流柔術】
(ほんたい・ようしんりゅう)
 本體楊心流は柔術,棒術,小太刀術の三本柱を中心とし、居合術なども含む総合武道である。特徴は、おおむね技が簡素で虚飾がなく、直接的・効果的な技術である点にあり、徒手でも、あるいは得物を持っても同様の体捌きで敵の攻撃に対応することができる。また、柔術六法〈逆・投・締・当身・捕付・活〉にのっとって、相手を傷つけず取り押さえることも可能な、いわゆる「活殺自在」の境地を目指すものである。  
 
 本體楊心流の開祖は高木折右衛門。寛永年間に奥州仙台藩白石城主・片倉小十郎の家臣であった稲飛〈稲富とも〉家の次男として生まれた。無刀流小太刀・鏡智流槍術等を学び、父の戒めの言葉であった「楊木は強く、高木は折れるぞよ」の言葉にちなみ、楊心流高木折右衛門と名乗った。「楊」は柳に似た木で、しなやかで打たれても折れないことから、楊の心を體(体)とする意から名称が生まれたという。

2代を継いだのは作州(美作・みまさか=現岡山県北部)森家の家臣だった高木馬之輔で、若くして折右衛門の後を継いだが、自らの未熟さを悟り、竹内流に入門して修行を重ね、体格や力に頼らない体術を工夫して本體楊心流高木流と称するようになったとされる。 
 
 3代目は馬之助の子息・高木源之進で、播州姫路藩本多家に仕え、500石を受けた。その後、4代を継いだ大国鬼平が開創した九鬼神流棒術も併伝されるようになり、幕末まで赤穂藩に相伝した。
 
この後、17代皆木三郎〈号虚舟)によってさらに研鑽工夫が加えられ、18代井上剛、ついで19代井上恭一に引き継がれた。現在、兵庫県西宮市に総本部を置いて国内・海外の門弟の指導に当たっている。
 
 熊本県へは免許皆伝を得た原賀洋によって昭和50年にもたらされ、現在、玉名郡の原賀のもとで、平川照寿や天草市本渡の高岡善雄らが普及に努めている。


◇ 系統 初高木折右衛門重俊―2代高木馬之輔重貞―3代高木源之進英重―4代大國鬼平重信―5代大国八九郎信俊―6代大国太郎太夫忠信―7代大国鬼兵衛良定―8代大国與左衛門良貞―9代中山甚内定秀―10代大国武右衛門定信……17代皆木三郎正教―18代井上剛宗俊―19代井上恭一宗教

◇連絡先 熊本県支部代表 原賀 洋(免許皆伝 玉名郡和水町久米野78−1)

◇練習場 洋武館(玉名郡和水町久米野)


本體楊心流柔術(第19回熊本県古武道演武大会で)
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