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  *この原稿は、内容に関して同流派の校正を経ずに掲載しています。間違いに気づかれたご連絡ください。

【楊心流半棒術】
(ようしんりゅう・はんぼうじゅつ)
 木製の棒を使う古武道棒術には長棒術と半棒術の二種類がある。
 通常、捕り物などに使う棒は6尺であるが、そのほぼ半分(3尺=約90cm)の棒を使うことから呼ばれた。 半棒を使うのは、室内で取り押さえるのに都合がいい(使いやすい)から―とか、長槍や長刀の柄を刀で打ち切られた際、残った棒を武器にして戦う術だから―などいくつか説がある。このため、槍術や長刀術の関連技法として伝わる流派もある。半棒の「半」は厳密な意味の「半分」ではなく「正式のものより短い、手ごろな長さ」という意味合いとも考えられる。
 
 楊心流半棒術の源は、秋山四郎兵衛(西暦1600年前後の人)が開いた楊心流柔術にある。秋山は長崎在住の漢方医で、医学修行のため渡った中国で拳法や捕手術を伝授されて帰り、大宰府天満宮にこもって捕手術の体系を創案したととする説があるが、正確な出自や経歴は分かっていない。
 
 秋山に学んだ星野四郎左衛門が、肥後細川初代忠利公に従って肥後に来たのが、肥後の楊心流半棒術の始まりとされる。 実員の父・星野九衛門は元立花藩士で、加藤家にも仕えた。

 星野家の系統の中で達人として名高いのが第6代・星野角右衛門(実員)。細川藩指南役となり、肥後の四天流星野派柔術の隆盛を築いた武人で、流居合、四天流組討、楊心流長刀に長じた。
 角右衛門以降、星野龍太まで、楊心流半棒術の系統は四天流星野派柔術と同じである(肥後藩に伝わった伯耆流柔術の系統も、伯耆流居合の関係で星野角右衛門以降は同じである)。  
 

 いついかなる状況で攻撃されても即座に対処できるように、タスキ掛け(または刀の提げ緒使用)で演武する。

◇系統 秋山四郎兵衛義時―星野九衛門実矩―星野四郎左衛門実員―星野嘉右衛門実泰―星野嘉右衛門実久―星野角右衛門実員―星野竜介(実寿)―星野四郎左衛門実直(如雲)―星野九門実則―星野竜太実重―上村武―上村親志―舛田紘一


◇連絡先 上村親志(熊本市新屋敷3丁目3−24)


◇練習場 下益城郡城南町


楊心流半棒術(第19回熊本県古武道演武大会で) 
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