| 【日置流肥後竹林派弓術】 (へぎりゅう・ひごちくりんは・きゅうじゅつ) |
竹林派弓術の祖は西暦1560年ごろの石堂(せきどう)竹林如成。宝暦6年(1756)、藩主細川重賢(しげかた)公から時習館講武場の弓術師範に任じられた木原帰雲正明が肥後竹林派弓術の祖。木原帰雲は江戸詰めの折、竹林派7代師範、浦上瀬兵衛(せいべえ)(紀州竹林派)に師事し、奥義相伝を受けた(。 以後、上村、茂見(しげみ)、上田、吉海の諸氏が道雪派、吉田派とともに明治維新まで、時習館講武場で藩士を指導した。 しばらく途絶えていたが、元細川藩士・小笠原宥(ゆう)師範の努力で再興し、旧八代城主松井家の敏之師範に相伝され、以後は松井家が代々受け継いでいる。 竹林派の体配(たいはい=射礼を行う様式)には、巻藁前(まきわらまえ、又は巻藁)体配、体配、独り体配、廻り射の4種類がある。 巻藁前体配(射礼)は弓術ではどの派も行う儀式で、射場開き、武道場・体育館等で射礼を行う場合、最高位者が清めの儀式として行う(弓は古来神聖なものと位置づけられており、演武会のときは各種武道に先駆けて、清めの儀式として、弓持ちの介添えを付けて行う)。 弓術には戦場で使われた武射系と、神前で祭礼として行う礼射系があるが、熊本の弓術3流派はいずれも武射系である。 武射系は、戦いの場で左脇に敵と対峙するため、左側に隙が出ないように、体の左斜め前に弓を構え、そのまま打ち起こして引く。 ◇ 系統 日置弾正政次……木原帰雲正明(肥後竹林派祖)―上村孫三―茂見惣兵衛正修―茂見仙左衛門景長―茂見惣兵衛景命―茂見亀之助正道―上田政吾―吉海市之丞―津田遊計―吉海小平次―小笠原宥―松井敏之―松井明之―松井憲之―松井恭之(ちかゆき)―松井貞之―松井葵之(みちゆき=24代) ◇連絡先 水谷謙一郎(八代市敷川内町787) ◇練習場 熊本市、八代市、山鹿市 |
![]() 日置流竹林派弓術(第19回熊本県古武道演武大会で) |
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